2006年8月
  「継続は力」山内隆治
「小さな祈りの影絵展を終えて」高林香奈 「色あせない記憶」西川(小野寺)公子
「エンディングに起こった不思議な現象」 高林真澄 ■「続けるということ」 浜崎ゆう子

「続けるということ」

■KS(影絵の制作の略)・浜崎ゆう子

昨年11月のことでした。広島から戻ったKP(蔭のプロデューサー)へやさんから、8月6日をイベントにして欲しくない、という被爆者の声があったこを聞かされました。終戦60年という節目に行った「小さな祈りの影絵展」から3ヶ月ほど経った頃でした。
私はそれまで、節目の年になにかやらなければという思いだけで、毎年続けることなどまったく考えていませんでした。ヒロシマの制作は、未熟な私にとって予想以上に大変だったものですから。でもその話を聞き、単なるイベントに終わらせないためには、やはり続けていくしかないのではないかと考えるようになりました。節目にあたらない年にやることこそ大事ではないかとも。不快に感じられる方には大変申し訳ないのですが、そんなことがきっかけとなりこの夏も展示を行わせていただきました。
熱心に協力してくれた人々のほとんどが私と同様戦争を体験していない世代です。そんな私たちがやれること、やるべきことを、この影絵展を通して見つけていければいいなと思います。ゆっくりと、力を合わせて。

「エンディングに起こった不思議な現象」

■KM(蔭のマネージャーの略)・高林真澄

 昨年の原爆記念日に初めてお披露目した「小さな祈りの影絵」は、この1年の間、広島市内のあちこちを巡回し、多くの人に見ていただいた。それだけに、「今年もやるのよね!」と、“2回目”に期待する声がたくさん寄せられていた。今回は大平数子さんの原爆詩がテーマ。果たして・・・。
仕上がり具合をハラハラしながら待つ私の心配をよそに、「影絵プラネット」のブログには、次々と作品がアップされていった。詩の文字が入った、大きな木が登場した・・・。早く実物に会いたい。8月5日、ついに2作目の「小さな祈りの影絵」に対面した。
 子どもを想う切なくやるせない「母」の詩は、ゆう子ちゃんの心のフィルターでろ過されて、見事なほどファンタジイな作品に生まれ変わっていた。いや、そう思ったのは一瞬で、幻想的な分だけ、精密度が増した分だけ、キュンと胸を刺す痛みが走った。ミリ単位の小花の一つひとつ、葉っぱの一枚いちまいに、彼女がどれほど祈りを込めて向き合ったか想像できた。
 この作品に、今年もまた何千、何万の人たちが、足を止めた。どの瞳も、深く静かに影絵の光を追っていた。中には、思わず作品に手を触れる人もいて、その度にご遠慮願ったが、さわってみたくなる気持ちも分からないではない。この影絵を見つめていると、フッと天空にでも導かれるような錯覚に陥ってしまう。「核兵器を葬ろう。平和な世界を」。小さい子からお年寄りまで、病める人にも悩んでいる人にも、声に出さずに訴えかける力をこの影絵は持っている。
8月6日のクライマックスは「灯籠流し」。今年は「影絵の灯籠」も作ってみた。手伝いに駆けつけてくれた高校生たちや母親、幼稚園児たちが、黒い紙を思い思いに切り抜き、貼り付けた。その灯籠は暗い水面に絵を浮かび上がらせながら、他の幾千もの灯籠と一緒にゆっくりゆっくりと川下へと流れて行った。不思議な出来事が起こったのは、その時。それらを写したデジカメには、何百もの白い玉が映っていたのだった。
 これは、俗に言う「心霊写真」かもしれない。でも、全く拒絶感はなく、「ようこそ・・・」とむしろ歓迎したいような気持ちにかられた。彷徨う霊たちが、「影絵灯篭を観に行こうよ」と舞い降りてきたにちがいない。「原爆で亡くなった子どもたち、今回影絵を見てくれる子どもたちも喜んでくれるのではないか・・・」。こう願うゆう子ちゃんの想いは、時空を越えて子どもたちの心にきっときっと届いている。

「色あせない記憶」

■BJ(美術助手の略)・西川(小野寺)公子

影絵と出会って何年たっても、何度見てもいつも新鮮な驚きを感じます。紙と糊とカラーフィルターで出来た手作りそのものの影絵は、本来保存のきかないはかない物だそうです。だからこそなのでしょうか、不思議なほど色あせない記憶になるのは。光を伴って記憶の中で発光しているのです。
今年も8月6日、61年目の広島はじりっと焼け付くような暑さでした。早朝から日が沈む直前まで、射るような日差しがあまりにもまぶしく強く全身を刺してきます。広島では暑いと言いながらも、みんな当然のように受け止めています。だからこれが8月6日なのだと。そんな猛暑の中、今年も影絵は8月5日から元安橋のたもとに明かりを灯しました。大平数子さんの詩、原爆によって離れ離れになった母が子を思う切ない思いを綴った“母”と“やかん”です。制作途中の一枚一枚のパーツとしては何度も見ていましたが、元安橋に来て初めて友子ちゃんの頭の中にしかなかった作品が組み立てられ、全体の姿が現れました。大胆な構図です。真ん中に大きく等身大の一本の木、生繁った枝葉に遊ぶかわいい南国の動物や鳥たち、詩情あふれる豊かな色彩、すごい、驚き、感動です。ところが日が暮れると今まで見ていたものが何だったんだと思うほど、鮮やかに発光して、思わず目を奪われたたくさんの方の足が止まりました。きれい!と集まってこられた皆さんが、影絵の作り出す暖かい穏やかな空間の中で、大平さんの詩を読むほどに大切な人を失う痛みを、そして原爆の悲惨さを、戦争の愚かさを感じていくのがわかります。小さな木は大きな枝を広げ、まるで楽しく遊ぶ子供を守る母のようです。たくさんの方が子を思う母の思いに身をつまされ、61年前に思いを馳せ、自然に平和を祈りると同時に静かに亡くなった方に追悼の祈りを捧げていらっしゃったと思いました。この「小さな祈りの影絵」は目に優しいけれど、決して声高ではないけれど、伝えたい思いを確実に伝えてくれたと感じました。そして見る人の心に残る、目の奥に光を伴って忘れられない記憶となったのではないでしょうか。
この一本の木を思い出すとき、その時の記憶がよみがえってきます。戦争を知らない私たちにも出来ることがあると。61年間に思いを馳せ、祈ることは、願うことは出来るのだと。

「小さな祈りの影絵展を終えて」

■KC(かっぺ様の長女の略)・高林香奈

今年もまた素敵な影絵に出会えました。去年に引き続き、小さな祈りの影絵展を通して少しでも多くの人たちが平和や戦争について、祈ったり考えたりしてくれたらと思います。

「継続は力」

■AP(あっ君のパパ)・山内隆治

浜崎さんの影絵展も、8月6日の元安橋にすっかり馴染んだかんじで、通り掛かる人たちも「ああ、今年はどんなのかな?」と楽しみに見て行く雰囲気がとてもよかったです。
今年の夏、私は広島国立平和追悼祈念館の仕事と並行して、長崎でも原爆にまつわる仕事をさせてもらいました。「長崎の鐘」のモデルにもなった永井隆博士のドキュメンタリーDVDを製作発売する仕事です。永井博士は静かに燃える人でした。余命いくばくもない病床で平和を訴える執筆活動を続けた人でした。心の中にも敵を作らずひたすら平和を祈った人でした。「継続は力」を身をもってしめした人でした。僕のような凡人には、とうてい真似できるものではありませんが、百分の一でも近づけたらいいなと思います。浜崎さんのこの静かな影絵展も、いつも陰ながら尊敬し応援しています。