ヒロシマ小さな祈りの影絵展2013「あの日の灯り」
  
 

今年も地元の中高生を中心につくられた影絵が展示されました。

主催:影絵ユース

★制作風景はこちらをどうぞ。

 
  「力」 (広島なぎさ中学高等学校)
 
原爆で「死の町」と化したヒロシマにも、徐々に温かな光が戻ってきました。懸命にバラックをたてる家族の力強い姿に、思わず米兵たちも見入っています。
「ヒメジョオン」 (広島女学院中学高等学校)
 
崩れ落ちた廃墟の街に、小さくても力強く咲いていたヒメジョオン。その花に囲まれて、少女はちらばったガラス玉やおもちゃを集めて秘密の宝物にしました。悲しみの中でも、少女は命は生きている人々に希望を与え、小さな幸せを運んでくれていたのだと知りました。

「汝の敵のために祈れ」 (広島女学院中学高等学校)
 
米軍が乗った飛行機を見て、ふと少女は思い出しました。「汝の敵のために祈れ」 敵、味方、互いに愛する家族がいるはずです。だからもし、話し合いをしたら、殺し合いをする必要がなくなると思います。

 
「心の苛みを聞きながら」 (広島城北中学高等学校)
 
原爆投下の前日、数名の友人たちと小さな音楽会を開きました。当時は家でピアノの音を立てることも不謹慎と言われていましたが、その日1日限りの楽しい時間をみんなで過ごしたことを覚えているそうです。翌日6日の朝「早く友達に話さないと」と、前の日の思い出を胸に動員先の工場に行ったところで被爆。幸運にも助かり家に帰りましたが、その後病気にかかり寝込んだこともありました。人間の残忍さを原爆投下によって見せつけられ、同じ人間であることをやめたいという思いから自殺も考えたといいます。僕たちは、彼女たちの人生が壊される前の幸せだった時間を表現しました。ひとつひとつの幸せを大切に生きなければならないと感じました。
「讃美歌」 (広島女学院大学)
 
終戦後、先生と女学生は寄宿舎の裏山に行き、讃美歌106番を歌いました。戦争が終わってようやく自由になった彼女たちは、どのような想いで歌ったのでしょうか…
「工場の屋上から」 (市民制作)
 
仕事の休憩時間に、仲良しの友達と屋上に上がって空を見上げました。私たちはボーっと、B29を眺めていました。彼女たちは、どんな思いだったのでしょうか…
 
「希望への道」 (津田塾大学ピースアートプロジェクト)
 
広島と福島の県花をモチーフに、ハナミズキの花言葉である「忘れない」想いを表現しました。未来に向かう列車、モミジの線路は希望へと繋がっています。広島と福島を繋げたいという願いを込めて制作しました。
「希望に満ちた舞台」 (広島女学院中学高等学校)
 
戦争が終わって復帰した学校では、クリスマス会が行われました。合唱やダンス、そして西端劇が発表されたそうです。生誕祭は参加する生徒が家から物を持ち寄って、簡素だけれどみんなの笑顔で舞台を飾りました。
「平和乃木」 (広島女学院同窓会)
 
「70年間は草木も生えない」と言われた広島市でしたが、焼け残った大木の根元からは、新しい枝がのびて再び緑がよみがえりました。
 
「きのこ雲の下で」 (広島城北中学高等学校)
 
8月6日の朝、女学生たちは仕事先に行くために満員電車に揺られていました。土橋の辺りに来た時、彼女たちをオレンジ色の閃光と爆音が襲いました。その時、彼女たちが失ったものとは何だったのでしょう。
「安堵」(市民制作)
 
生きててよかった。
「再会」 (広島城北中学高等学校)
 
この作品は、ある女子高生と先生の再会の場面です。彼女は原爆投下の際に、怪我をしたものの、回復へと向かっていました。しかし、彼女は不安がいっぱいでした。そこで出会ったのがその先生でした。先生は、彼女の手を握り、大粒の涙を流して、生きててよかった、とおっしゃいました。この作品で僕たちが伝えたかったことは、人と人との繋がりの大切さです。原爆投下という状況のなか、先生は彼女の身を気遣ってくれました。今の時代を生きる僕達も人と人との繋がりを大切にして生きることが大事です。
 
「焼け野原での再会」 (浜崎ゆう子)
 
当時15歳だった女学生は、火の海、黒い雨、の中を命からがら逃げ出し、その後数日間、家族を探しに焼野原をさまよいます。父と妹に再会した時、涙でいっぱいになり、生きている喜びを強く実感したそうです。

「車窓から」 (広島女学院大学) 
 
小さな西岩国駅から広島駅まで、いつもの仲良し4人組で席を取り、動員学徒として清秋のひとこまを元気に過ごしていました。蒸気機関車で過ごす間は、今が戦時中だと現実を忘れることができました。

「祈りのうちに」(広島女学院中学高等学校)
 
戦時中の厳しい生活の中でも、お母さんに讃美歌を教えてあげて仲良く歌っていました。この小さな幸せを大切にしている場面がとても温かく幸せに感じました。私たちも、日常のふとしたことを大切にしたいなと思いました。
 
「平和の祈る人たちへ」 (洋行幼稚園)
 
園長先生から広島に原爆が落ちた時のお話を聞き、戦争や原爆の恐ろしさを感じました。これからも平和が続くように、お花が咲いていたり、色々な生き物がいる平和な地球を制作しました。
「ライフ イン アメリカ」(広島城北中学高等学校)
 
どうしてこの米国の土地で生きている日本人を題材にしたかというと、経済学者として新たに米国で生きることを決めた日本人に対して、興味を持ったからです。少し前までは敵国であったにも関わらず、そこに住むことにした日本人の新しい生かとぉ影絵で表現しました。この作品を見ていただければ、同じ日本人としてなにか感じ取っていただけるのではないでしょうか?
(フレーザー幼稚園)
 
タイトル・説明文なし
 
  (プナホウスクール)
左から順次
・これは「シャカ」というポーズの絵です。ハワイでは平和を伝えたいとき、こう言います。「アロハ!!!」
・満月を見ている時、人の心は楽になり、私たちの魂は平和を感じます。
・私はハワイ夕焼けを見ている時、幸せを感じます。
・太陽が昇るとき、海は輝く。再び生命は息づき、平和はもたらせる。
・この写真はジャズとすべての色を表現しています。またジャズはシアトルの中でとても大きな平和でもあり、とてもすごい力を持ったジャズは私たちの内に平和をもたらしてくれる方法として使用されます。
・亀はとても平和的で、穏やかな生き物です。虹は人々を幸せにします。
・この絵は、ハワイ州のカネホーヘ市のホーマハヒアのボルタニカル公園です。その公園に行く時、私は平和な心を持ちます。私はストレスや、悩みを感じなくなります。
「小さな幸せを大切に」(広島女学院中学高等学校)
 
戦後、子どもたちは家の手伝いをしながらも、わずかな時間の中に楽しみを見つけていました。そんな中、身近にあったゴムは「ゴムとび」という遊びに使われるようになりました。私たちは、幸せは与えられるものと思いがちですが、彼女たちは自分で幸せや楽しみを見つけていました。私たちも身近にある幸せを見つけ、それを大きな幸せに変えていきたいと思いました。
(プナホウスクール)
左から順次
・亀は平和を意味し、海は人と人をつなぐ。
・自然は私たちを生かし、いのちや平和、幸せをもたらしてくれるのです。
・平和が世界中をバランスよく回ることを太陽と月とで表現しました。
・星を眺めてモロカイの海の漣に耳を澄ませたとき、私は穏やかな気持ちになりました。もし、すべての人々が自然の息吹を感じる時間をもてたらな、おそらく私と同じように、平和で幸福な気分になるでしょう。
・かき氷を食べると、私はリラックスして、平和な気持ちになります。また、ハワイでは「Aloha」ということで、平和が他の人に広がっていきます。
・大雨の後、コーラウ山の頂上からたくさんの滝ができます。これは毎日の出来事で、世界が確実に動いていることを私たちに感じさせます。
 
「夏の大切な思い出」(広島女学院ゲーンス幼稚園)
 
夏の大切な思い出として、おとまり会での川遊びやキャンプファイヤー、花火を影絵で表現しました。心の底から楽しんでいる子どもたちの姿は、生きている喜びであふれています。そんな幸せな姿がこれからも続けていく平和な世界でありますように…