2005年8月

「それぞれの8月6、私のヒロシマ 」 部谷京子

「影が創る絵のチカラ」 高林真澄
「想像力」 山内隆治 「できることしよ!」 西川(小野寺)公子
「平和を創り出す」 野中春樹 ■「自分なりのかたち」 浜崎ゆう子

自分なりのかたち

■KS(影絵の制作の略)・浜崎ゆう子
私は影絵の制作など行っていますが、ふだんは古いモノクロフィルムを収集・整理するようなちょっと変わった仕事をしています。そこで繰り返し見てきた原爆映像を通し、今私たちができることはなんだろう?と度々考えさせられてきました。カメラの前で無惨な姿をさらけだした人たちはなにかを訴えているし、そこにレンズを向けるカメラマンの「後世に残さなければ」という思いもはっきりと伝わってきます。でももしこの映像が突然日常生活の中に飛び込んできたら、多くの人が目をそむけようとするのではないでしょうか。怖い、見たくない、と声に出して言う人だっているかもしれません。本当に平和を訴えたいのであれば、まずその現実をしっかり受け止めなくてはならないように私には思えるのです。そしてこれからはそんな人たちに関心を持ってもらうための“工夫”というものが必要ではないかと。今年は終戦60年ということもあり、亡くなった方々への追悼の意と、深い傷を持って生き続けてこられた方々へのささやかな癒しになればという気持ちで影絵を制作しました。一方でこれは想いを伝える“工夫”への小さな試みでもありました。8月5日6日の元安橋たもとは常に黒山の人だかりで、多くの方々が携帯電話やカメラで影絵を撮影して行かれました。この方々が単にもの珍しいというだけでなく、光の奥に“ヒロシマの想い”みたいなものを感じ取っていただけたであろうことを未熟な作家は祈るばかりです。
 
平和を創り出す
■NS(野中先生の略)・野中春樹
部谷京子さんから高校生に、『小さな祈りの影絵展』に参加しないかという誘いを受けたとき、我々には影絵について全くといっていいほど知識がなかった。『影絵プラネット』を見ても、影絵の美しさはわかるが、どのようにして制作され展示されるのか皆目見当がつかなかった。

広島に住む人にとって被爆体験者の話を聞いたり平和資料館や平和公園を見学するなど、平和について考える機会は多い。幼稚園や小学校低学年の頃には、戦争や原爆の話を聞くと強い衝撃を受け、すぐにでも平和のために何かしたいと思う。ところが学年が上がるにつれて、聞いたり学んだことを自分の生活に結びつけることに困難を感じるようになる。何かしたいと思うが何をしたらよいのかわからない。広島に住む中高生の多くがこのような悩みをかかえている。

10人の中高生が8月5日と6日、工作舎で浜崎友子さんや西川公子さんたちと影絵を制作した。広島の街並みの上空に花火をつくったり、川に屋形船を浮かべたり、折り鶴をつくった。すでに出来上がっていた広島の街並みの上空や川に、和紙を使って細かい部品を切り抜いては貼り付け、花火や屋形船をつくっていった。影絵作家がつくった精巧な作品の上に、『素人集団』がこんなにのびのびと作業をしてもよいのかと、驚きを感じた。影絵が完成すると元安橋と空鞘橋へ運び、設置した。そして、やってくる人たちの案内係になった。影絵の一部は自分たちが作ったと思うと、愛着が一層わいてくる。中高生は2日間、工作舎で作業をしている時以外は、元安橋のたもと、空鞘橋近くの河川敷で過ごし、大勢の人に出会った。影絵についての解説を始めたら、逆に訪れた人から被爆当時の広島の様子について説明される場面もしばしばあった。

影絵は夜にならないと見えないにもかかわらず、元安橋たもとには昼間から大勢の人がやってきた。その人たちに「暗くなってから是非見に来てください」と声をかける。夕方6時頃から日が暮れるにしたがって、影絵の色が鮮やかになっていく。その変わりようが感動的だった。暗闇にあかあかと映し出される広島の街並みを見つめる人たちの顔は喜びに溢れていた。影絵の周りに集う人たちがつくりだす空間は平和に満ちていた。

中高生はこれまで平和公園にやって来るお客さんのような立場だったのが、今回は人を迎える側になり、これまでに味わったことのない居心地の良さを感じた。このような形で平和を創る活動に参加できたことを感謝したい。

 
できることしよ!
■部谷組BJ(美術助手の略)・西川(小野寺)公子
広島での『小さな祈りの影絵展』に参加させていただきました。以前は映画の美術の仕事をしていました。一緒に助手をしていた時代からの友人である影絵作家浜崎友子さんを応援してきましたが、今回の展示には格別な思いで参加させてもらいました。
小さな祈りの影絵たちは、8月5日、6日の元安橋と空鞘橋で大勢の皆さんから目を留めていただきました。あたりが暗くなるごとに古き良き広島の風物が鮮やかに浮かび上がり、初めて見る人々の新鮮な驚き、感動が私にも伝わってきました。友子ちゃんの作る影絵はわかりやすく難しい説明なんていりません。年代を超えて郷愁を抱かせてくれます。見る人の気持ちを和ませほっとさせてくれます。そんな影絵を囲んで沢山の方と60年目の8月6日を迎えた広島に、自分も居られたことをとても感謝しています。
広島に行ったのは今回が初めてでした。8.6のざわめきの中で初めて見る原爆ドームは、そこだけ静かに建っていました。目に写る原爆の爪跡はもうここにしかないのでは、と思っていましたが、地元の方とのふとした会話の中で聞く土手の桜の木のきれいに揃った様や、タクシーの中で「広島城きれいなんですねー。」という私ののん気な感想に「広島の建物はどんなに古くても60年しかたってないからねぇ。」と答える運転手さんの一言にハッとさせられました。戦後何年経とうと、広島では日常生活の中で今も原爆と共に生きているのだ、と感じさせられる瞬間でした。
戦後60年が経ち戦争経験者の方々の年齢も高くなりました。私の父母も戦争世代です。父は最後の出兵をしていますが、戦時中の話はしても、戦場の話をしたことはほとんどありません。何かを伝えたいと意識したところで所詮教科書でしか知らない私に何ができるのか、と思っていましたが、今回広島高校の生徒さんを始め、参加した若い方たちと一緒に、影絵の制作の場を通して8.6を一緒に過ごすことが出来たのは大きなことでした。友子ちゃんの小さな祈りの影絵は、高校生たちの折った鶴に彩られ、彼らががんばって作った花火や屋形船によって晴れやかに夕暮れの太田川の川面に、懐かしい広島の町を浮かび上がらせたのです。そのすべてが私にも、少しずつでもとにかく自分に出来ることをすればいいのだと教えてくれた気がします。そう、できることしよ!     

想像力
■AP(あっ君のパパの略)・山内隆治
 浜崎さんがもと在籍した会社で、広島長崎の原爆フィルムをはじめとする記録映画に囲まれて仕事をしています。8月6日の広島に一度は行ってみたいと思いながら数年。今年やっと念願叶ってあつい広島の一日を経験することができました。
 今回、私は別の取材を兼ねての広島行きだったので『小さな祈りの影絵展』はときおりチラチラと覗く程度だったのですが、たくさんの人たちが一生懸命影絵に見入っている姿を見るたび、こちらの気持ちも和んだものでした。平和のために何かしたいという思いでいろんな人がいろんなアプローチで活動をしている中で、今回の影絵展は、受け止める人の気持ちを考えるところからスタートしている点で素晴らしかったです。影絵の光を通して浜崎さんと広島の人のキャッチボールが出来たんだなと思います。
 受け止める人のことを思うというのは、あたりまえのようでいてなかなか出来ることではありません。僕らの仕事でもまずこの姿勢をとらないと本当にいい仕事はできないなあと、あらためて痛感しました。想像力を働かせて相手のことを考えるということです。特に、若い世代の人たちにはたくさん本を読んだり写真を見たり映画をみたりして、想像力を鍛えてほしいです。

僕にとっては、夏の朝8時15分の広島の気温や空気の様子や、空の色雲の色や風を肌で感じることができたことが大きな収穫でした。あの日をありありと想像して、今の平和を噛締めたり、これからの自分の使命を確認したりする糧になりました。

まだ、行った事のない方には是非お勧めします。8月6日に広島に行くことを。

 
影が創る絵のチカラ  
■KM(蔭のマネージャーの略)・かっぺ様こと高林真澄

「影絵」は、広島人にとっては馴染みがない。幼い頃、手の平と指をからめて障子に動物の影を落とした思い出があるくらい。それに比べ、友子ちゃんの紡ぎ出す影絵の世界は、あまりにもファンタスティックだ。彼女のつくったカレンダーやポストカード、テレビで泳ぐクジラくんを見るにつけ、「一体、どうやってつくるのだろう?」と思っていた。その謎が解明したのは、8月5日のことだった。
その日、友子ちゃんは、「こんなに機内持ち込みできるの?」と疑いたくなるほどでっかい袋をめいっぱい抱えて広島にやってきた。一緒に作業するのをワクワクしながら待っている工大附属広島高校の生徒さんたちが使う道具一式が入った袋だった。彼女は休む間もなく「祈りの影絵」に最後の魂を入れる作業にとりかかった。高校生たちも流れる汗を拭いながら紙を切り貼り付けていった。この舞台裏を見て初めて、「あのホンワカとした光や水面に映る町並みはデジタル処理」だと思っていた概念がくつがえされた。どこをとっても「アナログ」なのだ。紙を切って貼り、いろんな色のセロファンを重ねて、裏から裸電球の光を当てる。それだけ。でも、これがスゴイチカラを持つのだと分かったのだった。

平和公園にお参りに向かう何千、何万の人が、黒く象られた影絵に足を止めた。顔をくっつけるように観入りながら、影の遥かに見える光をどの目も追っている。遠い時間を探している。「ああ、懐かしい」「こうやって遊んどったもんよ」。ふっと顔がほころぶ。観る人の心の中に影絵が灯る瞬間だった。2日間、こんな人を何人も何人も見続けた。こんな作品展は初めてだ。これが、絵画や写真、映像なら、こうはいっただろうか。

じーっと見ると、鉛筆の下書きや貼り合せた跡がある。のりの残骸もある。これが、スゴイチカラの素なんだろう。カッターや鋏の1切りに祈りを込めてつくったと聞いた。膨大な原爆映像を見て、ヒロシマ取材をし、ありとあらゆる文献を読み込み、昭和20年8月6日8時14分の広島を紡いだ作品だ。戦争を知らない友子ちゃんと高校生たち、そして、サポーターたち。彼らが残した光と影の絵は、まぎれもない新しい形の「ヒロシマメッセージ」だ。         

 
それぞれの8月6日、私のヒロシマ
■KP(蔭のプロデューサーの略)・部谷京子
60年前のあの日よりも、日々核の脅威にさらされ、絶える事なく戦争が続く今の時代に、過去を憎みながら生きて行くだけでは平和な時代は決して来ない。
拳を振り上げるのでなく、声を荒げて叫ぶのでもなく、鎮魂と平和への祈りの気持ちをこめて、ささやかで地道な活動を続けて行こうと思います。広島に生まれ育った者の使命として。