2011年8月
*寄せ書きは、徐々に増えていく予定です。(投稿順に掲載)


「人とのつながり」森長蓉子(広島女学院2年

「影絵展に参加して」清水奏子(広島女学院2年

「影絵展の感想」溝岡愛子(広島女学院2年

「影絵展の感想」杉谷祥子(広島女学院2年

「影絵からのメッセージ」松浦律子

「原爆ドームで」平田みなみ(広島なぎさ高校1年)

「影絵の企画」岡島有希野(広島なぎさ高校1年)

「平和を伝える」岩田皆子(広島なぎさ高校3年)

「人とのつながり」石田晴菜(広島なぎさ高校1年)

「最後の影絵 伝える思い」石田雅子(広島なぎさ高校3年)

「影絵展の感想」平松雅司(広島城北高校3年)

「小さな祈りの影絵展を終えて」杉 亮介(広島城北高校3年)

「小さな祈りの影絵展・準備と展示」 荒本直史(広島城北高校1年)

「小さな祈りの影絵展に寄せて」寺岡道子

「やっと出会えた、影絵展」黒星恵美子

「明日ハ晴レカナ曇リカナ」松井佳子

「小さな光が大きな輝きにな〜れ」安達のんの

「小さな祈りの影絵展・準備と展示」 岡田慎太郎(城北高校3年)

■「ある少女のなつかしい思い出」浜崎ゆう子
*清水さんが書いた「小さな祈りの影絵展」に関する作文が、広島女学院校内のコンクール並びに修道院大学作文コンテンストで最優秀賞を受賞。★こちらに掲載されています。

「ある少女のなつかしい思い出」

■浜崎ゆう子
(影絵制作)

 8月6日夜、展示会場に今回の影絵のモデルとなった被爆者久保美津子さんのご主人がいらっしゃいました。自作の紙芝居を公演して回る巷談師・緩急車雲助として、広島では知られている方です。どこか気難しさを感じるこの雲助さんが「妻が怪我をしたので、代わりに行って来いと言われ、やってきました」とむっつりとした表情でおっしゃいます。あぁ、この方には何を言われても仕方ない、そんな気持ちで美津子さんの思い出を元にした影絵と、子どもたちの朗読を披露しました。
  一般の人たちに混じり、終始だまって見ていた雲助さんでしたが、朗読が終わると私の方へ来られ「とても感動しました」としんみりと言われました。私は慌てて子どもたちを集め雲助さんに挨拶をお願いしました。「義理の弟は原爆によるぶらぶら病で数年前に亡くなるまでずっと自分たち家族は苦労させられてきました。なんでこんな弟が、という思いを今でもぬぐうことができずにいましたが、今初めて君たちの手によって作られた影絵で、妻とその弟の幼い頃の姿を知ることができました。人の心がこんなにも揺さぶられることがあるのかと、この歳になって初めて感じました。素晴らしかった」子どもたちに向かって雲助さんは、そんなことをおっしゃってくださいました。
  帰り際、信号を渡る寸前に雲助さんはこうもおっしゃいました。「8月6日の爆心地で、こんな穏やかな気持ちになれる日が来るなんて思ってもみなかった。死んだ義理の弟と、今初めて和解ができました。ありがとう」涙をにじませながらきっぱりとそう言い、足早に立ち去って行った雲助さんの後ろ姿は、あぁ今年の影絵展、いえ7年間の影絵展はやってよかったのだと、私に確信させてくれました。きっと参加した子どもたち、それをとりまく大人たちも同じ気持ちだと思います。

 この数年間、影絵に触れてきた子どもたちが、優しく頼もしい大人に成長してくれますように。そして、8月6日の元安橋袂の影絵が、一人でも多くの人の心の奥に、いつまでも明かりを灯し続けますように。

「小さな祈りの影絵展・準備と展示」

■岡田慎太郎
(広島城北高校3年・社会問題研究部)

 (1)作品制作のワークショップ

 3月に続いて、6月19日に今年2回目の影絵展のワークショップに参加しました。
 
 今回は前回(1回目)のワークショップで被爆者の久保美津子さんからお聞きした戦時中の子供たちの遊びを表現します。僕と高1の荒本君は子供たちが斜面を滑って遊んでいる風景を作ることに決めていました。
 今回僕は今までよりももっと一生懸命作ろうと張り切っていました。というのも、僕が参加する社会問題研究部の活動では、これが最後となるからです。
 早速、前回の下書きを基に荒本君と協力して作り始めました。少々作業が遅れ気味になりましたが、お互い息のあった制作が出来たのでよかったです。僕たちが作っている、子供たちが遊んでいるところですが、戦時中のことなので色々な場面に気を配って影絵の構成を考えました。例えば、斜面の下に防空壕を入れてみたり、民家の窓ガラスに飛散防止のためのテープが貼られているのを再現したことです。この作業は荒本君が担当し、本当のテープのようなリアルな素材を使って見事な表現をしてくれました。
 このように、僕たちは細かい作業を繰り返し、途中から参加してくれた中3の山岡君の助け船もあって、完成させることが出来ました。長い間集中して出来たのも、一緒に影絵を作っている皆さんのお陰でした。なんといっても皆でわいわい作るのはとても楽しかったです。またアドバイスをしてくださる浜崎さんのお陰でより良い作品が出来上がりました。
 
 今回は僕にとって最後の活動でしたが、とてもよい活動になりました。今回作った影絵が8月5日、6日の夜、爆心地そばの元安橋たもとで明かりを灯され、それを見た人が優しい気持ちになってもらえると嬉しいなと思いました。実際に僕は作りながら、自然と優しい気持ちになっていました。

 (2)小さな祈りの影絵展(元安橋東詰)

 8月5日と6日の夕方から元安橋の東詰で小さな祈りの影絵展が行われました。

 今回は展示するだけではなく、一緒に作品を作った他校の女子生徒と2人1組となって影絵について説明・発表するということを主催者の浜崎さんが考えてくださいました。僕はこれに大賛成でした。というのも、昨年までは積極的に影絵について説明することがなく、影絵を見てくださる人達とのコミュニケーションがあまりとれなかったからです。そのため、浜崎さんの提案に喜んで取り組みました。
 僕は影絵展の活動に中心となって参加しているので、発表をするトップバッターになりました。僕は人前で発表するのは苦手で、下手でもともとだと思って喋りました。所々舌が回らず聞く人にとっては聞きづらかったと思いますが、無事に発表出来ました。それにしても空が暗くなればなるほど影絵は美しくなります。制作に関わった僕達ですら、初めて見る物のようにじっと見つめる程でした。
 もっとも印象に残ったことは、僕達が作った影絵が久保美津子さんの夫の方に強い感動を与えたことです。久保さんは自分達が影絵を作るとき、沢山のことを教えて下さいました。それは、戦前・戦中・戦後の久保さん自身が体験された経験内容です。その実際にあった体験談を影絵で再現したからこそ久保さんの夫の方が感動されたのだと思います。
 僕は坂道を滑って遊ぶ子どもたちの様子を作ったのですが、それを見て共感したという方から感動の言葉を頂きました。それを受けてこの影絵を作って良かったと思いました。

 影絵展は今回で最後になるそうです。また高3である僕にとってこれが最後の活動となります。そのため、最後にとても良い活動が出来て良かったです。影絵展に参加するのはこれが4回目で、毎年8月5日・6日に平和公園にきて、平和を祈ることが出来たのも皆影絵展のお陰です。こんな素晴らしい機会を作って下さった浜崎さんや高林さん、本当にありがとうございました。

 僕は中2の頃から社会問題研究部の活動に参加していたのですが、とうとう最後の活動も終わってしまいました。中学校・高校と平和に関わる様々な活動に参加したことで、今までよりも社会問題に関心を持つようになり、生き方や人間としてのあり方などを学ぶことが出来ました。学んだことをこれから生きていく上で大切にしていこうと思います。ご指導して下さったみなさん、ありがとうございました。  

「小さな光が大きな輝きにな〜れ」

■安達のんの
(札幌在住・元教師)

思い残さないよう、66年目の原爆祈念日に行ってきました。
街のいたるところに傷跡があり、会う人のほとんどが被爆者もしくは関係者で差別にじっと耐え生き抜いてきた人たちといたるところで出会いました。鬼気迫る原爆ドームに戦慄が走り、資料館では地獄のような惨状に言葉を失い、被爆者の話に、涙が止まりませんでした。原爆は過去のことではなく、今も厳然と存在していました。

列して川面を流れる灯籠・・・その美しさに何故か哀しく切なくなりました。 『原発=原爆…私達は三度(たび)許してしまいました。申し訳ありません。四度(たび)許さぬよう真の平和を見つめ行動します』…そう書いて灯籠を流しました。

平和公園は、極右から極左まで騒然としていました。平和は押しつけや騒がしいものであっはならないと思います。灯籠流しやゆう子さんの影絵のように美しく静かに語りかける・・・これが私達を一つにし美しい国にしていくのではと思います。
前夜の5日、広島交響楽団を聴きました。平和を願うコンサートで選曲もよく最後の『requiem』は200名の大合唱とオーケストラが一体となり未来への願いを伝える素晴らしい演奏でした。ただ空席が目立ったのが残念でした。あの式典会場で前夜祭として一万を超える参加者に聴かせるなら、様々な考えや行動をもつ人達の心を、やがて束ねていくのではと思いました。
6日の式典は、形だけのイベントに感じたのは私だけでしょうか…一分間の黙祷だけ参加しました。お偉いさんのご講話はカットし慰霊碑めぐりをしました。蝉しぐれが被爆死された人々の悲しみや怒りのように聞こえました。

「小さな祈りの影絵展」…
そこはとても小さい会場でしたがあったかい輝やきで満ちていました。そこで「ひまわりと金魚」作成の男の子に出会いました。「またいい絵つくってね」「うん」彼は眼を輝かせてうなづきました。側にいた女学生と影絵終了が話題になり「私もびっくりしてるんです。学生たちが跡を継ぐようですよ」と言ってました。是非そうしてほしい、きっとそうなる予感がします。7年間で川の流れのように広がったのですから。その流れは67年目の原爆の日に、きっと引きつがれていくと信じています。

「明日ハ晴レカナ曇リカナ」

■松井佳子
(東京チーム・JAZZシンガー)

あっという間だったとも言えるし、長い道のりだったともいえる7年間。広島は私にとってなじみの場所のひとつになりつつあります。厳島神社参拝はすっかり恒例行事となり、広島焼きのお店も一人で入れるようになりました。関東人には読みにくい駅名もだいぶ覚え、路線図を見ずとも路面電車に乗れるようにもなりました。
 
今年、「地球ハーモニー」のステージで、武満徹作品『明日ハ晴レカナ曇リカナ』を歌いました。明日の天気は本当のところは誰にもわかりません。晴れても降っても結局は思うことに向かって進んでいくのが人間なんじゃないか、ちょっとくらい愚痴を口にしたって結局は自分が思う方へ進んで行こうとするのが人間なんじゃないか。毎日を泣いたり笑ったり悩んだり怒ったり迷ったり憂いたりしつつ、でも最後は前を向いていくしかないのだなということを今年は特に考えました。そして、この曲を歌いました。私はこの原爆ドーム前の音楽イベントに参加し始めたばかりです(2010年から参加しています)。影絵展は今年で最後ということですが、これからは、自分のフィールドである『音楽』で小さな祈りを捧げ続けたいと思います。
 
7年間、影絵展を盛り立ててきた皆様、お疲れ様でした。つらい体験をお話ししてくださった被爆者の皆様にお礼申し上げます。どの作品も、皆様の心から生まれ、私たちの手を動かし作品に仕上げたのだと思っています。
影絵展を通して原爆のことをきちんと考える時間を持てたことは、私にとって宝です。お蔭様で私は人生を、たぶん、とても楽しんでいます。小さな日常のひとつひとつが大切な、幸せ、平和そのものであると実感しています。この平和がいつまでも続きますように。そして広い世界に広がっていきますように。

「やっと出会えた、影絵展」

■黒星恵美子
(編集者)

 新聞の記事や誰からのブログで、「ちいさな祈りの影絵展」のことは4、5年前から知っていました。 だけど、8月6日当日、平和公園に足を運ぶ習慣のない私は、「ちいさな祈りの影絵展」を実際に見ることがありませんでした。しかし、ずっと「影絵ってあたたかいな」「見てみたいなー」「参加できるのなら、ワークショップに参加してみたいな」と思っていたので、その思いが通じて、昨年はじめてワークショップに参加させていただき、今年は2回参加して、ひとつの作品を作らせていただきました。
 そして、今年は8月6日当日、元安橋のたもとで、実際の「ちいさな祈りの影絵展」と、とうろう流しを見ることができました。
 広島に住んでいると、「原爆」はある種、身近なことなので、「8月6日」は黙祷をして、静かに過ごすのが日課でした。なので、平和公園のお祭りっぽい雰囲気は遠巻きに見ていたのだ、と思います。
 だけど、「影絵」という創作を通じてみつめた今年の「8月6日」は、感慨深かったです。こういうみつめ方もあるのか、と実感していたところ、「ちいさな祈りの影絵展」は今年が最後だ、と知りました。少し出会うのが遅かったみたいです。だけど、変わらず私は「ちいさな祈りの影絵展」のファンです。

「小さな祈りの影絵展に寄せて」

■寺岡道子
(広島市民

影絵のボックスを初めて見たとき、ただただ、美しいものを見たというばかりでした。それが、ヒロシマの想いを影絵にしてくださっていることを知り、本当に感動いたしました。

浜崎さんには、遠くから広島に来て、被爆者のお話を聞き、そしてその活動に私たちを参加させるべく、時間をかけてワークショップを開いて、影絵というものに触れさせてくださるとともに、ヒロシマのことを考えるきっかけを与えてくださいました。心から感謝申し上げます。

広島人でありながら、被爆の歴史と正面から向き合ってこなかったと思えます。私の父も被爆者でしたが、口を閉ざした一人でした。ほとんどなにも語らず、被爆した事実を晩年まで認めずに亡くなりました。そうしたことに、いまさらのように考えさせられました。

影絵の制作に参加することで、当時の人々の生活に思いをはせ、その一人ひとりの命のそれぞれに願いや思い、哀しみや喜びがあったのだと、気づかされました。そして、ヒロシマの祈りをこんなきれいなものにすることができる。そういう形で被爆の事実や平和への祈願を訴えることができるのだと教えて頂きました。

影絵づくりは、楽しい時間で、童心にかえって作業をし、また、若いひとたちの感性に触れる機会でした。

人の想いが形を作り、美しい色に彩られ、つながっていくのが、感動でした。そして、それに参加できて、本当に感謝いたします。ありがとうございます。

「小さな祈りの影絵展・準備と展示」

■荒本直史
(広島城北高校1年
・社会問題研究部)

(1)準備編

 影絵は2日間かけて1人もしくはグループで1枚ずつの作品を作った。

 僕は高3の岡田先輩とペアになり、川岸の坂を滑り降りる少年少女を描いた。僕が担当したのは家、少年1人、機関車の部分である。屋根瓦の色の濃さを変えたり、窓の色を出来るだけ薄くして本物に似るように工夫してみた。機関車が上手に出来なかったのを、先輩が直したりなどして、お互いに協力して1枚の影絵が完成した。先輩と僕が「細かい点も丁寧にする」という、ある種の「こだわり」を持って作業をしたから、意見の衝突もなくスムーズに制作を進めることが出来たのだと思う。
 僕はかつてないほどの達成感を感じた。この作品なら影絵展に出しても大丈夫だと確信していた。

(2)展示会当日
 影絵は8月5日、6日に平和公園の元安橋東詰の交差点にて展示された。5日は広島城北だけでなく、他の学校の生徒もインタビューを受けていた。僕はインタビューは受けなかったが、その代わりに影絵の説明を自分なりに頑張ってした。通行人が僕の説明を聞いてくれて、本当にありがたかった。
 ところがある通行人の1人がぼそっと混雑していることに不満を漏らした。けれども僕は嫌悪感を全く感じなかった。影絵を見たほとんどの人はいやな顔をしていなかった。影絵をしっかり見た人の方が多く、僕はそれで満足した。 

 影絵をまる2日間かけて良かったと思う。この経験を生かして、今度は僕が後輩に教えて、共に達成感、満足感を味わいたいと思った影絵制作であった。

「小さな祈りの影絵展を終えて」

■杉 亮介
(広島城北高校3年
・社会問題研究部)

 僕は今回の影絵展は4年目になります。今まで色々な影絵を作ってきました。

 最初は作品の背景だけだったけど、次第に作品のメイン部分の仕事も出来るようになりました。今回は被爆者・久保美津子さんの体験談を聞いて、少女時代の思い出を作品にしました。みんなで思い出のそれぞれの部分を分担しました。僕は少女の美津子さんが銭湯で弟の背中を流している場面を作りました。この作品を1人で作るまでに成長しました。

 この影絵制作を通じて浜崎さん、高林さんをはじめ、多くの人々に出会い、沢山な貴重な話も聞くことが出来、僕自身すごくためになるものでした。しかも今回は最後の影絵展だということで、テレビの取材も受け、今までにしたことのない体験を沢山させてもらい楽しかったです。

 浜崎さんが主催の影絵展は今回で終わりかもしれないけれど、いままで浜崎さんなどに教えてもらった影絵作りの技術を生かしつつ、今度は僕たちが中心となって影絵展をすることが出来ればいいなあと思います。

 今までお世話になった方々、浜崎さん、貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。とても楽しくてためになる影絵展でした。またみんなで作品作りをやれる日がくればと思います。

「影絵展の感想」

■平松雅司
(広島城北高校3年
・社会問題研究部)

 私は4年間、「小さな祈りの影絵展」の制作に参加させてもらって良かったと思っています。中3で初めて参加した時は、先生に声をかけられて、とりあえず行って、浜崎さんに指示されたことを単純にこなすだけの作業でした。でも、その制作作業をみんなでするのは楽しかったし、8月5・6日に展示された時に、作品を観た人達が足を止めて、「きれいだ」と言ってくれるのが嬉しかったです。

 高校に入ってからは、影絵の制作に積極的に参加するようになって、自分達で下書きを考えて作品を作りました。自分達で1つの作品を全部作るのは大変だし、とても難しかったけど、完成してみると苦労を忘れてうれしさと達成感がありました。また、作成段階で苦労すればするだけ、ほめられたりすると、とても嬉しかったです。

 今年で「小さな祈りの影絵展」としての展示は最後だと聞き、毎年の楽しみになっていただけにとても残念でした。でも、今年は1つの作品を全部任せてもらって、最初は無理だと思ったけど、何とか完成させることが出来て良かったです。

 展示の時に、それぞれの作品の説明をみんなで読んだりもできて、今年の影絵展はとても充実したものになりました。できれば、来年以降も女学院やなぎさの生徒達や城北の仲間で展示できたらいいなと思います。また、今までの影絵の作品を観て少しでも多くの人が平和について考えてくれたら嬉しいです。

 最後になりましたが、浜崎さんや部谷さん、高林さん、そして影絵制作で色々と教えて下さった方々、ありがとうございました。影絵展に参加出来てとても楽しかったです。

「最後の影絵 伝える思い」

■石田雅子
(広島なぎさ高校3年

高校三年生と言うこともあって、最後の影絵の参加でした。元安橋の袂での展示も今回が最後でした。まだ3回しか参加したことがなく、やっとコツをつかんできたところでした。この様な活動が今回で終わるのは、とても残念です。
影絵のいいところは、影絵は言葉ではなく、目で見て平和を感じてもらうので小さい子どもにも伝えることができる所がいいです。自分自身も、当時を想像しながら影絵を制作するので、平和について考えることができ、しかし、難しく考えるのではなく、楽しく出来るところがよかったです。
 影絵を展示していると、たくさんの方が足を止めて見てくださるので、作ってよかったなと、展示するたびに思います。多くの人が、少しでも平和について考えてくれているなと実感できるところがいいです。
また、影絵に参加できるような機会があったら参加したいです。

「人とのつながり」

■石田晴菜
(広島なぎさ高校1年

 私はこの影絵作りに参加して今年が3回目になり毎年平和について考えながら作品を制作しているのですが今年は平和についてはもちろん、人とのつながりの大切さを感じることができました。影絵制作の際ご指導してくださる浜崎さんはもちろん、いつも私たちのことを気にかけてくださった高林さんをはじめ、たくさんの方に支えられて作品を作ることができていることに気づきました。また、一緒に影絵を制作した広島県の高校生とも交流してたくさん良い思い出ができました。
 影絵を制作しているのは私自身ですがそこには支えてくださる大人の方や同世代の高校生などがいて初めて1つの作品になっていく様に思いました。今年で今回の活動は最後になってしまいますが私は影絵を通して学んだ平和や人間関係の大切さをこれからの経験につなげていきたいと思います。

「平和を伝える」

■岩田皆子
(広島なぎさ高校3年

今まで影絵の制作に関わることができてよかったです。今年で影絵が終わると知り、たくさんの方々の平和への思いと支えがあってこそ、今まで続けてこられたのだと改めて気づきました。
8月6日には多くの人たちが影絵の前で立ち止まってくれました。影絵には人を引きつける温かい雰囲気があります。だからこそ原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さを見る人に感じてもらえるのだと思います。影絵の制作、展示に関わって、影絵は言葉ではなく心を伝えることができると感じました。
8月6日の夜に平和公園から影絵がなくなるのは寂しいですが、また何かの機会で復活してほしいです。今まで影絵の制作を支えてくださっていた方々、ありがとうございました。

「影絵の企画」

■岡島有希野
(広島なぎさ高校1年

影絵の企画は、私にとって初参加でしたが、とても思い出深いものになりました。影絵の制作は、作業をしながら「平和」について考える機会になったし、平和公園での朗読も、自分からそれを発信したことは、今までにない経験になりました。今回の企画で平和公園に来てくれた方々や、私たちひとりひとりが「平和」を考え、そのために活動するきっかけになることを願います。

「原爆ドームで」

■平田みなみ
(広島なぎさ高校1年

私はこの活動の間に、原爆の残酷さを再確認することができました。影絵を見ていると、原爆の前の人達の暮らしはけして豊かではないけれど、とても楽しそうだと思いました。また、それを壊した原爆は許せない兵器だと思いました。私は今まで原爆や戦争について考えたことはあまりなかったけれど、改めてなくしていくべきものなのだと思いました。

「影絵からのメッセージ」

■松浦律子
(東京チーム・音楽講師

 今年の8月6日、念願だった広島行きが実現しました。着いてすぐ、平和記念公園の原爆資料館や記念館を見学し、午後は浜崎さんのトークショー、被爆者梶本さんの体験談を聞かせていただく等、充実した時間を過ごしました。夕暮れ時、再び公園に戻るとすでに川岸には大勢の人が集まっており、静かに流れる灯篭を眺めています。橋のたもとの影絵展にも灯りが燈り、その美しさに道行く人の感嘆の声が聞こえてきます。私たちの心もポッと温かくなりました。

 戦争や原爆で犠牲になられた方への慰霊とともに平和への祈り、今年は東北大震災への復興への祈りも重なります。ここに集まる人々の思いは同じようで切なくもあり嬉しくもあり、ずっとこの思いをここで共有したいという気持ちになりました。広島の人々にとってこの日は特別な大切な日というのも感じました。浜崎さんの小さな祈りの影絵展からは美しく静かだけれど平和への深いメッセージが伝わりました。言葉ではなく影絵によって人の心は癒され、赦し、幸せな気持ちになっていきます。私もほんの少しですが制作のお手伝いをさせていただけたことを光栄に思います。

 広島で感じたことはいっぱいあります。日々の暮らしへの感謝、そして今、世界で、日本で起きてることにもっと関心を持ち目を向けること…等です。画家フレデリック・バック氏は平和、環境、人権、動物愛護などあらゆることに目を向け、自分の作品を通し静かなメッセージを送り続けています。浜崎さんの活動はフレデリック氏の提唱する未来へつなぐ活動と重なりました。見ず知らずの広島の町で始められた祈り展も市民の皆さんによって大きな輪に広がっていきました。これは浜崎さんだから出来たことだと思います。残念なことに影絵展は今年で最後と聞きましたが、この素晴らしい活動が子供たちによってずっと受け継がれていきますように!

「影絵展の感想」

■杉谷祥子
(広島女学院2年影絵製作グループ

 今回で3回目の参加になりました。今回は、影絵の作品一点一点を皆さんに説明させてもらいました。真剣に聞き入ってくれて、後から説明が良かったと声もかけていただいて、いつもとは違う充実感を得ることができました。今年もありがとうございました。

「影絵展の感想」

■溝岡愛子
(広島女学院2年影絵製作グループ

 今回の影絵展では、作品の説明もさせてもらい、去年とは違う体験ができました。ありがとうございました。

「影絵展に参加して」

■清水奏子
(広島女学院2年影絵製作グループ

 今年の影絵展は、私にとって特別な意味をもつものになりました。準備をする6月の段階で私は体調を酷く崩しており、8月の本番でお手伝いできるかも怪しい状況でした。ですが、今まで一緒に影絵展に参加してきた部活メンバーを始めとした友人達が、私が抜けた穴をしっかりと埋めてくれ、とてもよい影絵を作ることができました。私自身も少しですが、製作に関わることができました。結果的は家族や友人の助けのお蔭で私の体調も戻り、8月の本番のお手伝いができたことは良かったと思います。辛い時、苦しい時、私を支えてくれたのは家族と友人の絆でした。

 また、今回久保さんのご主人に言っていただいた「君たちの影絵のお蔭で、弟と初めて和解ができた気がします。」という言葉は、私にとって忘れられないものとなりました。今まで3年間の参加中、ずっと心のどこかにあった「本当に影絵を作ることで世界が平和に近づくんだろうか」という疑問を、この言葉は吹き飛ばしてくれました。
 影絵には、人の心を温かくする力があるのだと教えてくれたのです。一人一人の心が少しでも温まって、そんな優しい気持ちが広がっていったら、世界を平和にすることだってできる、そんな気がします。綺麗事に聞こえてしまいますが、これを綺麗事にしてしまうかどうかは、これからの私達次第なのだと思います。

 来年、今の女学院影絵製作グループは高3となり、受験を控えることになります。今までのように自由が利かない分、できることは少ないかもしれませんが、できる限りの努力はしたいと思っています。この4年で、私は本当に沢山のことを影絵展から学びました。影絵展の存在は、私が今の私になるにあたって、欠かすことのできないものでした。だからこそ、後輩達にも同じ気持ちを知ってもらいたいし、影絵展への感謝の気持ちをこめて、来年の影絵展の準備をしていきたいです。4年間、本当にお世話になりました。影絵展が私達の“心の故郷”になる事を祈って。

「人とのつながり」

■森長蓉子
(広島女学院2年影絵製作グループ

 去年に引き続き、影絵展に参加させていただいた森長蓉子です。今年の広島女学院グループは色々なことがあり、大変な状況下の中、なんとか自分たちのものを作ることができました。

  今年の影絵展は昨年とは違い、影絵の意味を皆様の前で説明させていただきました。初めのころは人も少なく、手持ち無沙汰だった私でしたが、思いの他、人が集まってきて、みんな私達の説明を真剣に聞いてくれました。

 去年もそうでしたが、8月6日のお手伝いをさせていただいている時は、とても不思議な時間が流れています。そこには原爆の悲惨さとは違った平和への思い、人のぬくもりがあるのです。不思議です。私は何を伝えたいのでしょうか。それは来年の影絵展に来たら分かります。

 ですが、来年の影絵展はどうなるか私達にもよく分かりません。私達女学院チームは高三になり、受験シーズンとなりますが、勉強とはまた違った影絵のワークショップ等を通して、そこにある大切な何かを学びたいです。今年も無事に影絵展を終えることができました。ありがとうございました。