ヒロシマ小さな祈りの影絵展2012「今の広島」 |
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昨年でいったん終了となった小さな祈りの影絵展ですが、今年から地元の高校生を中心に再スタートをきることとなりました。 |
「路面電車」(広島女学院高校制作) 広島市内を走る路面電車は、広島のシンボルの1つです。「被爆電車」として有名な650形は、原爆投下後も変わらず広島の街を走り続けています。私達にとって馴染みの風景を影絵にしました。 |
「瀬戸田レモン」(広島女学院高校制作) 夏休みに田舎に帰ってきた兄妹2人が広島レモンの収穫を手伝っています。妹の手の届かないレモンはお兄ちゃんがそっと取ってくれるのでしょうか? |
「とうかさん」(広島女学院高校制作) |
「瀬戸内海」(広島城北高校制作) この作品は瀬戸内海です。瀬戸内海はとても穏やかな海で牡蠣やみかんが名産品です。夕方の海をイメージしたので、全体の色の調和を表現するのに苦労しましたが、瀬戸内海の空と海の色合いと穏やかさを強調することができたのでよかったです。 |
「三角州」(広島女学院高校制作) 私は小学生の頃、愛媛から広島へ引っ越してきました。転校して初めて、授業で広島の事を詳しく習い、新鮮な気持ちで授業を受けた覚えがあります。この影絵を作る事で、また当時の思い出が蘇ってきました。 |
「比治山のお花見」(個人制作) 広島のお花見スポットとして名前が挙がる比治山公園。携帯のカメラで記念撮影をする様子は、今では当たり前の光景です。この、どこにでもある他愛無い光景が、被爆を経験してきた人たちにとってどんなに尊いことか、と思います。 |
「平清盛」(個人制作) 平清盛は広島と縁の深い人物です。宮島の厳島神社は、12世紀に清盛によって現在の形になりました。朱塗りの水上社殿と大鳥居は世界的に有名な広島の観光名所の一つです。 |
「永遠に平和を」 (市民制作) 67年前、この世の地獄を見た誰が今のこの木々に覆われた美しい広島を想像できただろうか。数十年間草木は生えないだろうと言われていたが、私たちは今美しい自然の中で暮らしている。この美しい自然を守り、世界平和を訴え続けなければならない。 |
「原爆死没者慰霊碑」(女学院高校制作) 原爆死没者慰霊碑を通して見える原爆ドーム。毎年たくさんの人が訪れる祈りの場であり、私達に毎日を無事に過ごせることへの感謝の気持ちを思い出させてくれます。 |
「影絵を見る人々」(広島なぎさ中学・高校制作) 67年前の戦禍を越え広島は復興し、発展してきました。しかし、その戦禍を忘れてはいけません。この影絵展は戦争のことを忘れず、現在の平和に感謝するためのものだと思います。 |
「広島城」(広島城北高校制作) 広島を代表する建物の一つ広島城。被爆、復元を経て今も受け継がれるその姿は、威厳を持ちながらも親しみを感じる。完成したときの喜びは忘れられないだろう。 |
「安佐動物園」(広島女学院高校制作) 「パパー!!あれ見てみて!!」「おぉ…あれは…ぞうさんだね!」「おっきぃー!」ここは広島県の安佐動物園。様々な種類の動物を見に年間沢山の人々が訪れ、様々な楽しいイベントが開かれます。今日も安佐動物園は人々や動物たちの暖かさで溢れています。 |
「三段峡の紅葉」(広島なぎさ中学・高校制作) 広島の県木は紅葉。中でも安芸太田にある「三段峡」は広島有数の紅葉の名所です。滝と紅葉が成す美しさを表現するのに難しさを感じました。 |
「夏祭りの縁日」(市民制作) 子供たちの手には、かき氷、ヨーヨー、アイス棒…。懐かしい夏の風物詩は今も受け継がれています。こんな平和が、いつまでも絶えることがありませんように…。 |
「広島城」(広島城北高校制作) 広島を代表する建物の一つ広島城。被爆、復元を経て今も受け継がれるその姿は、威厳を持ちながらも親しみを感じる。完成したときの喜びは忘れられないだろう。 |
「カープ」(広島城北高校制作) 広島東洋カープは、民間球団です。1949年、リーグ拡張方針を受け、原爆投下による壊滅的被害からの復興を目指して設立。当時は焼け落ちていた広島城は、「鯉城」とも呼ばれていたので、広島東洋カープとされました。1951年、深刻な球団経営状況から解散案、他チーム合併案などが持ち上がる中、この状況を打開するため「樽募金」が行われました。こうして数多くの広島市民に支えられながら、カープは今日に至ります。 「サンフレッチェ」(広島城北高校制作) サンフレッチェの試合でのゴールシーンと、それを観戦する人を描きました。地元のスポーツチームであるサンフレッチェは広島の象徴の一つであり、市民に感動や勇気を与えてくれます。ユニフォームの紫色を表現するのに苦戦しましたが、納得できる物が作れたので嬉しく思っています。 |
「平和公園の祈りの泉」(広島女学院同窓会制作) 67年前「みずを…」「水をください…」と求めうめき、さまよい続け息絶えた多くの人々を思い、1964年資料館に作られた祈りの泉。今も絶え間なく勢いよく噴き上げられています。市花である平和の花”きょうちくとう”をそえました。 焼け跡に、一番初めに咲いた花であることを知っていただくために。 |
「わすれない。たいせつないのち」(フレーザー幼稚園制作) 「神様が作られた世界・命がみんな嬉しい気持ちになることが嬉しい。」そんな平和な世界になるようにと園児のみんなで作りました。忘れないで覚えているよ。大切な命。 |
「好きなものを大切にできること」(広島女学院ゲーンズ幼稚園制作) 今も昔も子供達は遊ぶことが大好き。そんな大好きな遊びを毎日思いきり楽しんでいる幼稚園を影絵で表現しました。自分達の好きなこと、好きなものを大切にできることはことは心も平和に過ごせること。その願いをこめて…。 |
「原爆の子の像」(広島城北高校制作) 原爆の子の像は、病気が治ることを信じて、千羽鶴を折り続けた当時小学校六年生の佐々木禎子さんがモデルになり、原爆で亡くなった全ての子供たちのための慰霊碑として建てられました。細い線でできた鶴を切り抜く時や、禎子さんの人間らしい曲線などに苦労しました。この作品は、夕日をイメージしたオレンジ色の背景に、原爆の子の像の上部に注目して、佐々木禎子さんの像と両手で支えている鶴を強調して表現しています。 |
「宮島水中花火大会」(広島女学院高校制作) 家族で花火を見ながら笑いあえる平和な世の中。これからもずっと家族みんなで見に来れますように…。 |
「へいわをまもるひとになりまーす」(フレーザー幼稚園制作)子どもたちは「神様がつくられた命が、うれしい気持ちでいっぱいになれる世界がいい」と言い、「平和をまもる人になる」と目を輝かせています。原爆で亡くなった人にどんなプレゼントを贈ったら喜んでくださるか一生懸命考えて作りました。 |
<野外展示>(終了) |