『 生きる 』  
 

「焼け野原を進んだ路面電車」

被爆からわずか3日後、己斐、西天満町間を路面電車が走り始めます。一番電車で車掌を務めた少女のお母さんは、その時爆心地付近で行方不明になっていたそうです。人々の様々な思いを乗せて、路面電車は瓦礫の中を走り続けました。

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